こんにちは!
現在、翔和学園大学部1年生の究万(くま)です。
翔和学園の訪問記をしばらく書いていなかったので、
初訪問の2021年11月9日から1年経った今、これを機に、
この1年を振り返っていこうと思います。
こうして振り返ることで、在籍している私はしっかりと記憶保持ができるし、
入学を検討している方々は翔和学園の実態(笑)や、
現在のプログラム、雰囲気などについて、
少しでも知ることができるのではと考えています。
誰かのお役に立てれば幸いです(/・ω・)/
※翔和学園関係者の方々へ
個人情報などにはなるべく配慮したつもりですが、
不都合な部分などがありましたら、別途修正指示を頂けますと助かります。
お手数おかけしますが、何卒よろしくお願い申し上げます。
本当は一記事で終わる予定だったのですが、思いのほか思い出が多く、
書く内容が増えてしまったので、当記事は、
~翔和学園を振り返る①~とさせていただきました。
これから続いていく予定です(笑)
翔和学園見学編/2021年11月~12月
翔和学園の存在を知ったのはわりと昔
「翔和学園」の存在を知ったのは、多分2017年ごろだったと思います。
私自身、発達障害の診断が下ったのが、
2017年or2019年(初診日がどちらになるかちょっとわからない背景があります)で、
たまたま翔和学園のある中野坂上駅によく行く機会がその頃あり、
翔和学園という文字と、おそらく同類であろう発達障害者の方々を見かけて、
東京にはこんな学園もあるんだなぁ……
なんて思った記憶があります。
同類、という言い方は少し不適切ですが、あえてここでは率直な感想をそのまま書いています。
ASDジャッジ、発動!
少し話は逸れますが、私は「相手がASD診断済かどうか」をなんとなく把握することができます。
といっても、これはただの勘であり、答え合わせはもちろんほとんどできないので、
ただの失礼なジャッジにほかなりません。
ただ、言葉を恐れずに言うのであれば、
発達障害者の中でもとりわけASD傾向の強い方は、
独特のオーラというか、雰囲気があり、
例えば電車やバスといった公共交通機関内などで、
私はそれを見て、勝手なジャッジをしています。
凄く失礼なことは百も承知の上で、これはどうしても辞められないのです。
それはおそらく、自身がASD傾向の強い発達障害者だからであり、
仲間が欲しいと思う動物的本能が働いているのだと思います。
実際、言葉には出さないだけで、私と同じような方は多くいることでしょう。
相手が発達障害者かどうか、もっといえば同族かどうか、
マイノリティー当事者は(全員がそうではありませんが)、
相手を鋭い観察眼で無意識のうちにジャッジしていることが多いのではないでしょうか。
当事者を語る知人数名が同じようなことを言っていたので、
少なくとも、当事者の一部には私を含めそういった方々がいます。
とはいえ、人間、誰でも誰か他者を目の前にすれば、何かしらのジャッジをします。
言い訳ではありませんが、相手の性別や職業、
年齢などをなんとなく把握した気になってしまう方は、
きっと一定数いるはずです。
それと同じだと思ってもらっても構いません。
また話がだいぶ逸れました。
ADHDとASDの診断があると、
双方の特性から話がかなり逸れやすくなりますね(笑)
2021年11月当時の私とは……?
さて、話を戻しましょう。
そういうわけで、なんとなく翔和学園という存在と、
そこがどういうところなのかを軽く知ったのが2017年ごろでした。
とはいっても、本当になんとなく知っただけで、
特に気に留めることもなく、2021年まで時は進みます。
私は2021年11月当時、大学4年生の3回目。
卒論の締め切りを控えていました。
2留した私に後はありません(そのうち半年休学していました)。
とはいっても、2019年9月に閉鎖を退院し復学した後は、いろいろと上手くいき、
あとは卒論さえ完成させてしまえば無事卒業できるだろう、というところでした。
ASD的こだわりから、卒論は完璧なモノにしたい、と留年するまでは思っていましたが、
もうこのころにはそれを諦めていました。
というよりは、金銭面からこれ以上留年するわけにもいかないし、
留年したのに卒業できないなんてことがあってはいけない、という、
強迫観念から卒業することだけを考えていたといえます。
卒論の質を気にせず形を整えることだけに努められた私は、
確か2~3週間くらいで、
参考文献の閲覧から2万字の卒論作成までを完成させた覚えがあります(笑)
※絶対にマネしないでくださいね。
まあ、元々、文章を練るのは得意な人間です。
しかもその内容は「発達障害当事者研究」というもの。
もはやほぼ日記でした。
さーーーっと書いて、今読み返してもひどい出来ではありますが、
なんとか卒論を完成させたのが12月頭です。
起業したい!事業を興したい!
あれ?……また話が逸れていますね(笑)
再度言いますが、私が翔和学園を初めて訪問したのは2021年11月9日です。
なぜ訪問することになったかというと……
まあ、いろいろあるのですが、当時若干躁状態だった私は、
起業したい、事業を興したい、フリーランスで活動したい、などなど、
いろいろな想いがあり、片っ端から福祉関係の企業に単独で連絡を入れていました。
ちなみにこの「くまてや新聞」サイトができたのも同時期です。
▼一番古い記事です。クラファンやってましたね、そういえば。
たくさんの「縁」を持って、いざ翔和学園へ!
そうして繋がれた縁は、
本当にたくさんあります。ありがたいことです。
上記のような理由で翔和学園に訪問した私は、
正直にいえば、当初入学するつもりがありませんでした。
それが一転して入学を決意し、在学して1年が経とうとしているのには理由があります。
「究万(くま)さんと、長く関わっていきたい」という、ある先生の言葉です。
この先生に関しては、
多分名前を出しても怒られなさそうですが(笑)、
一応伏せておきますね(笑)
それまで自身の特性から、「人との長い付き合い」を諦めてきた私にとって、
その言葉は衝撃的で、大変うれしいものでした。
仕事として究万(くま)さんと関わることはできる。でも、最初から仕事として関われば、仕事のペルソナを外すことはできない。私は究万(くま)さんのことを面白いと思った。できるなら長く付き合っていきたい。そして究万(くま)さんも、この学園のことを面白いと言ってくれた。これは最高の誉め言葉で嬉しく思う。だからこそ、まずは学生として翔和学園に来てもらって、仕事の関係では見ることができない、究万(くま)さんらしさをさらけ出してほしいし、もっと知りたい。仕事の関係を結ぶのはそのあとでも遅くないのではないか。
簡単にまとめるとこんな感じでした。
今思うと若干丸め込まれたような気がしないでもないですが(笑)、
結果としてプラスに働いているので良しとします。
学生として過ごしてみたい気持ちと、仕事上の関係で留めておく気持ち。
双方で揺れていたところに、ある先生からのこの言葉は、私の心に強く響いたのでした。
12月は翔和学園にほぼ毎日登校!
というわけで、生活受給者証をもらって云々~~~(ここの詳細はあえて省きます)、
12月に開催されたクリスマス会的なものでは、
小グループのリーダーとなって「空想クッキング」というみんなで楽しむ出し物も披露しました。
もともと企画を考えるのが大好きだったので、まだ入学したのか微妙な時期にも関わらず、
私は率先してグループを牽引、みんなの前で発表し、
複数人の生徒たちに「究万(くま)さんたちの出し物が一番楽しかった!」なんて言ってもらえました。
あれ、めちゃくちゃ嬉しかったな~。
ちなみにこの時、「私が提案した企画」は、一人では成しえないものでした。
より正確に言えば、一人で提案しても面白くないものでした。
それを先生に相談すると、
「じゃあ手伝ってくれる人を募ろう」と言われ、
みんなの前で聞くことに。
正直、入って間もない私には友達と呼べる生徒もおらず(みんなよく話しかけてくれましたが友達はまた別でしょう)、
「手伝ってくれる人なんているはずないのに……」という諦観と、
「この先生は何を考えているのだろう」という正直ちょっと侮蔑っぽいものと、
「誰も手が上がらなくて恥ずかしくなるのは嫌だな」というちっぽけなプライドと、
ごちゃまぜな感情で支配されていましたが、
「先生が聞くから」「絶対誰かの手はあがるはずだよ」という言葉に、
二つ返事で了承の旨を伝えました。
どうして誰かが手をあげるって思えるんだろう?
私はその時強くこう思ったことを覚えています。
確かに、それまでに見てきた翔和学園の生徒たちは、
とても素直で、快活で、優しくて、率先して声をかけてくれて……、
もちろん全員がそうではないでしょうが、
私を温かい空気で迎えてくれていました。
でも、私がこれまで育ってきた環境、経験からでは、
こんな時にあまり知らない人の提案に手をあげる人はいないし、
そんなことをすれば自分まで変な目で見られるだろう。
という考えしか生まれなかったのです。
だから、先生が生徒たちに、
「究万(くま)さんがこんな企画を考えているのだけれど手伝いたい人はいますか?」と、
聞いた時、正直とても怖かったし、目をつむりたかったのも本当の気持ちです。
最初の問いかけは「手伝ってくれる人はいますか?」ではなく、
「手伝いたい人はいますか?」だったのも、よく覚えています。
私たちの「空想クッキング」
いるわけない!
私がそう思うのと同時に、驚くことが起きました。
そう、二つ、手があがっていたのです。
ここで全員に近い人数があがっていれば、私はなにか作為的なものを感じ、
「ああ、そういうことね」などと勝手に解釈していたことでしょう。
でも、手があがっていたのは二人。
そして、二人のうち一人はほとんど話したことがない人でした。
もう一人は現在の翔和学園内でおそらく一番「快活」という言葉が当てはまる子で(主観です)、
もしあげてくれる子がいるとしたらこの子だろうなと思っていた子でもありました。
それでも本当に手をあげてくれる人がいるとは思えなかったし、
だからこそ、衝撃的な体験として、
この時のことはみんなの席の順番など含めて、
視覚的にもよく覚えています。
嬉しかったし、びっくりしたし、安心した。そんな気持ちでした。
その後、快活な子のほうは、諸事情で別グループの手伝いに入ってしまったのですが、
もう一人の、話したことがないのに手をあげてくれた子が、
私の企画を手伝ってくれることに。
この子は現在卒業してしまいましたが、
卒業後もちょくちょく連絡を取っていましたよ♪
今は社会人として立派に働いていることでしょう(*´ω`*)
さらに、この企画には、
のちに「翔和学園内での一番の友人で大切にしたい友達で大好きな親友」となる、
「緘黙の友人」もうまく巻き込み、
さらには、のちに「翔和学園内で一番フランクに話が通じる友人」となる、
「絵師さん」(上のシートのイラストを秒速で描いてくれました)をも巻き込んで、
私の企画・「空想クッキング」は大盛況となりました(#^^#)
忘れられない「12月10日の入学誕生日」
そんなクリスマス会的な物も終盤に差し掛かり、
みんなでお菓子やジュースを飲み合っていました。
そこに突然「実は今日、誕生日の人がいます!」というアナウンス。
へー。いったい誰の誕生日なんだろう?
なんて呑気に構えていたら、
「おそらくこんな誕生日を祝ってもらった人はこれまでにいません」
なんてアナウンスとともに証明が落とされ……。
ただ、そこでもまだ「いやどんな誕生日祝いだよそれ」なんて思ってました。
完全に他人事です。そこで急に「じゃあ、究万(くま)さん!」と呼ばれたものですから、
私はビビりまくって、「え?何?え???」となったわけですねwww
入学誕生日、という文字にすれば全く意味の分からないお祝いでしたが(笑)、
お祝いの言葉、歌、ケーキ、……格別に幸せな入学祝いをしてもらったのでした♪
サプライズでの「究万(くま)さん入学誕生日会」。
あれは本当に嬉しかったなあ。
ちなみに嬉しさとは別に「サプライズ」が苦手な私は正直ちょっとだけパニックに。
ただ、先生たちもそれを把握してくれていたので、
「サプライズびっくりしたよね、ごめんね」「チョコケーキ食べられる?」など、
いろいろ配慮の言葉ももらえました。ありがたい限りです。
思い出って語り始めると長くなるよね
ここまでが、2021年の出来事。
話が逸れたこともあってめちゃくちゃ長くなりそうですね、この記事。
ちょっと分けることにします。はい。
何も考えずに書き始めるからこうなるんですよ()。
ブロガーの方々はくれぐれもご注意くださいませ(笑)
というわけで、「翔和学園見学編」はこれにて終わり。
若干見学編じゃない部分も入っていますが、2021年編?はこれでおわりです。
次の記事作成はマイプロジェクト始動のあたりでしょうか。
続きをお楽しみに♪
また、翔和学園について「在籍している究万(くま)から話を直接聞きたい」場合は、
お気軽に「お問い合わせ」からご連絡ください(⋈◍>◡<◍)。✧♡
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