人とご飯に行くとき、ほとんどの場合、お店決めは私が行います。
段取り良く予約などを行うので、友達にはよく感謝されますが、
お店決めなどを行うのは、ほかでもなく自分の為です。
そもそも人とご飯に行くのが苦手な私ですが、その理由は感覚過敏にあります。
味覚過敏をもつ私が食べられるもの、それは本当に少ないのです。ええ、本当に。
今でこそ、少しずついろいろなものが食べられるようになりましたが、
特に大学に入るまではひどかったです。
給食文化が大嫌いで、いい思い出がありません。
小学生のころ、私は放送委員の仕事に救われていました。
私の通っていた小学校では、委員会という制度があり、
私は放送委員に所属している時期がありました。
放送委員は週に一回ほど、「お昼の放送」をするために、放送室で給食を食べます。
教室でご飯を食べるのに比べ、放送室でご飯を食べるのは孤独です。
放送室は狭く、基本的に1名か2名でのご飯になります。
仲の良い人とだったらいいかもしれませんが、世の中そんなに甘くありません。
それでも私は放送室で孤独にご飯を食べるのが好きでした。というより、救われていました。
放送室で給食をとるということは、人目にふれないということなのです。
つまり、好きに残せるし、誰からも見られないし、自由な食べ方ができる!!
学校で一番嫌いな時間は給食の時間。
昔から変わっていません。
友達がみな外に遊びに行く昼休み、私は黙って給食と格闘していました。
「減らしていい」「残していい」という文化が母校になかったわけではありません。
先生によっては「絶対残すな!」といった人もいましたが、全員がそうではなく、
「残していいよ」と仰ってくださる先生もいらっしゃいました。
ただ……、「全部残していいよ」という先生はいませんでした。当たり前ですね。
しかしながら、給食には、
味覚過敏の私に食べられるものがほとんどありませんでした。
とにかく苦痛で、つらくて、食べたくないのに食べさせられて、
いやでいやで仕方のなかった給食時間。
中学受験をし、給食のない学校に進学しました。バンザーイ。
だいすきなおにぎりと塩味の卵焼き、ポークビッツだけのお弁当。
母は、私の好み、偏食度合いをよく理解してくれていたので(何を隠そう母もドがつくほどの偏食)、
いつも同じお弁当内容をリクエストしても快く作ってくれました。
そのうち食べる事さえ面倒になって、
母がポークビッツおにぎりというのを開発してくれるのですが、それはまた別の機会に。
給食嫌いの小学生だった私は、放送委員という仕事に救われていました。
ありがとう、放送委員。ありがとう、放送室。
そしてごめんなさい、給食を作ってくださる方々。
私も「給食が楽しい」と言ってみたかった。
少し切ない体験談でした。
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