こんばんは。
東京では昨日雪が降って、今日もまだその名残が各所に表れていました。
冬ですね。というわけで、究万(くま)です。
今回のタイトルは、共感できる方も一定数いるのではないでしょうか?
特にこのコロナ禍だと、多くなってきたのではないかなと思っています。
ただ、私の「外の服のまま布団はNG」というルールは、
決して潔癖症またはそれに近い理由によって制定されているわけではありません。
単純に、私が”不和”をおこしてしまうため、
このルールが制定されています。
似たようなルールだと、布団の上で靴下は禁止です。
理由はわかりませんが、気づいた時にはNGでした。
不合理でもマイルールになってしまうと、守らざるを得なくなるのがASD。
私は自分のマイルールに縛られて毎日を生きています。
人間というのは、ある程度ルールがあったほうが過ごしやすいらしいです。
法治国家である日本では特にいえることでしょう。
人々は自由を求める一方で、本当に「なんでもしていいよ」といわれると行動できないものです。
不思議ですね。
私も、そういう意味ではマイルールが防衛機制になっているのかもしれません。
でも、やっぱり面倒に感じるときがあります。
今回のタイトルにあるようなマイルールはまだいいのですが、
例えば時間を置いたペットボトルは一度回してからじゃないと飲んでいけない、とか、
筆箱の中身は必ず同じ向きじゃないといけない、とか、
日常的に頻度が高いものや微妙にめんどくさいものは、
やっぱり「こんなマイルールなければいいのに」と思うときもあります。
マイルールがどういう仕組みで制定されているのか、
私にもまだわかっていません。
そしてマイルールは地味に増え続けています。
ASDのこだわり、にあたる部分になるのでしょうが、
別にこだわりたくない部分に対してマイルールが制定されるのは、
本当に不合理だなと思います。
でもきっと、私のこだわりはマイルールにこそあるのでしょう。
マイルールの中身というよりは、マイルールを守ることにこだわりがある。
そう考えると、ちょっとしっくりくるような、こないような……、
まあ、最近はマイルールの中にも「例外」を設けられるようになり、
少しずつ生きやすくはなってきています。
今日はそんなマイルールのお話でした★
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