【原発に負けない旅立ち】
2022年3月26日、東京電力の福島県にある第一原子力発電所の事故が原因で、
富岡町から三春町に避難してきた学校が閉校しました。
そのため、富岡町に住んでいたおよそ1600人の子どもたちが、
お友だちに「さようなら」を言えないまま引っ越し、
三春町など、避難先の学校や幼稚園などに通わなければならなくなりました。
新しい学校に通い始めた頃、
「事故があった地域から来たから仲良くできない」と思われ、
悲しい経験をする子どもたちもたくさんいたそうです。
そこで、富岡町は、「富岡町の子どものための学校を建てたい」と考え、
2011年、富岡町から約50メートル離れた三春町に新しい学校を作りました。
しかし、一時的な学校として開校された三春町の学校は、
2018年の学校再開に伴い、閉校することになりました。
三春町に建てられた新しい学校が迎える最後の日。
子どもたちの学校で特別な式が開かれました。
この式では、これまでの卒業生やあらゆる形で関わってきた人たちが、
三春町の学校に対する思い出や、感謝の気持ちを順番に発表しました。
そして式が終わった後、
学校のシンボルとしてかかげられていた旗は、三春町に飾られました。
式典が終わった後、三春町の学校の校長先生は、
テレビや新聞の報道を担当する人達に対して、
「三春町の学校には、本当にありがとうございましたという言葉しか出てきません」と、
涙を流しながら話しました。
校長先生も、この学校の卒業生だったのです。
この式典に出席した卒業生のSさんは、
東日本大震災が原因で避難し、三春町の学校に新しく通い始めたそうです。
しかし、最初はなかなか周りの子どもたちと仲良くなれなかったという経験があります。
それでも、式典に参加した後には、
「自分が卒業した学校がなくなってしまうのはとても残念です」と話し、
新しくできる三春町の学校に対して、
「新しい学校ができるのは嬉しい」と笑顔で話しました。
東日本大震災を経て、多くの人がいろいろな経験をしました。
「子どもたちのために学校を」、と建てられた三春町の学校は、
富岡町の子どもたちと、三春町の子どもたちが、
将来に向かって羽ばたいていくための、
すてきな学校であったことでしょう。
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